黒部の "風"

過日録画してあった『黒部の太陽』完全版をまたまた見た。もう10回くらい見ているが、完全版の今回のはだいぶ久し振りだった。ところがそのラストにとんでもないシーンを見た。
黒部.jpgそれにしてもいまは亡き、名優たちが沢山出ていた。金に糸目はつけないと関電社長が工事を請け負っている会社に頭を下げていたが、この映画もまた、金に糸目をつけぬ豪華キャストで作られていた。
気になったのは、これまで気づかなかったのだが、ラストに裕次郎がキスリングを背負ってスタスタと白馬三山をバックに八方尾根らしき山を登り、そのあと三船敏郎と黒四ダムサイトで合流するのだが、それはない、ということだ。白馬と黒四ダムではあまりに離れすぎている。着ているものやザックの様子など、全く変わりなくあまりにも不自然。まるでワープしたかのよう・・。しかも、ダムに向かう三船は関電トンネルの途中の破砕帯でバスを降りる。こんなところで、バスは停まらないし、客を下ろしたりしない。トンネルの中をダムサイトまで歩いたのだろうか・・。
そしてオーラス。朝陽の昇って来るところが映し出されるが、ナント太陽は常念岳から昇って来るのだ。これは穂高から見た風景だ。穂高は黒部とはまるで異なる山域である。こういうことはして欲しくない。
また改めて映画を見直して気が付いたのだが、そのタイトル。『黒部の "太陽"』 とあるが、これは『黒部の "風"』 とすべきだったのではないか、ということだ。トンネルが貫通して黒部の風が安全第一の旗を揺らすシーンがとても印象的だからだ。太陽が登場するのは全くの最後、それも黒部に昇ってくるわけではないのだから・・。
タイトルには何の疑問も持っていなかったが、『黒部の太陽』という語感は素晴らしいけれども、内容から考えれば "太陽" はなかった。かぜ、という二文字よりも、たいよう、という四文字の方が耳には良い響きではあるが、このあたり映画に携わった方々はどのように考えていたのだろうか。
巨額を投じた素晴らしい映画であったが、いままた見直してみると様々な疑問が見えて来る。撮影の楽な八方尾根も分かるが、立山を背景にした室堂あたりでも、撮影は可能だったろう。ちょっと山好きが見れば、すぐにわかってしまうようなことは避けてもらいたいものだ。山を舞台にした映画には、よくあるといっても過言ではないが、違う山域の映像で誤魔化してしまうのはいただけない。誤魔化されない人は沢山いる。

2021.05.01 追記  本文中、映画のラストに出て来る日の出の映像を常念岳を前景に、と考え、映画を批判したが、その後別の映像を見る中で、鹿島槍を前景にしたものではないだろうか、だとすると立山方面からの映像として、批判は当たらないとの見方をしている。鹿島槍と常念の姿が角度によってとても似た形に見えることから、今後もう少し吟味したい。

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